kawagoe
実測調査終了!
kbys080831昨日、今日と実測調査に入りました。昨日は、私は、ちょっと用事が....。数時間で戻れるはずが...あれ〜?戻れずに何もしてません(涙)で、今日は、昨日の借りを返すぞ〜とばかりに...屋根伏図に取り掛かりました。雨が降ったらOUTです。スッテンころりんで危険です。でも、今日は、すごくいい天気でしたね。で、写真がそのワンショットです。何処だかわかりますか〜?
時の鐘があって、りそなが見えて...。

今回の実測調査では、力不足であまり昔の職人の声を聞き取れなかった。くぅ〜!
もう少しね〜壁・天井・床と既存部分が見えてればね...。とは、云え皆やりなれた方々は、天井をぶち抜き、壁を剥がし!少しでもと頑張りましたが...それほどの成果は得られなかった。まぁ〜そういう時もあるので、次回を楽しみに待ちましょう。
再度!実測調査ですよ〜!
今日は、今週末から調査に入る建物の事前調査?というか、カギの開け閉めの話と内部をちょっと見せてもらってきました。内部は、新建材でほぼすべて覆われてしまっており...当時の様子を伺うのはちょっと難しいか?でも、天井が一部はがされており、棟札がちゃんと付いていました。暗くてよく見えませんでしたが、「大正14年4月6日」と書いてありました。いまから約83年前です。
wikipediaによると...
○イタリアのベニート・ムッソリーニが独裁宣言
○日ソ基本条約締結
○ハワード・カーターがエジプトの王家の谷でツタンカーメンの王墓を発見
○イギリスが金本位制に復帰
○キプロスが英国の直轄植民地となる
○ジュネーヴ議定書署名
○アドルフ・ヒトラー『我が闘争第1巻』公表
○帝国議会議事堂全焼
○山手線で環状運転開始
○アドルフ・ヒトラーを保護する組織としてナチス親衛隊設立
○チャールズ・チャップリン『黄金狂時代』

世界がこんな時に、川越のここではこれが作られていたんだ〜と...。

はい!今回は、83年前の職人さんとの通信です。
どんな通信が来るか楽しみですね〜!あ〜私も聞きたいって方は、今週末の30・31の実測調査へ参加願います(笑)まだまだ募集中ですよ〜!
メールくださいね。
実測調査へのお誘い
五輪で熱くなっているここ最近。仕事でも熱くなりっぱなしでコメカミに血管が浮き出ます(笑)が、世の中捨てたもんだじゃないな〜。すご〜く嬉しい事もありました。(ニヒィ!)やっぱり「相当な幸せ者」だったようです。(笑)悪い事も良い事も程ほどにです。

さて、以前ブログでも紹介しました「建○知識」さんから電話があって、以前掲載したものを今度書籍化するとのことで、図面掲載の許可を...。前回も話したんっだがな〜と思いつつ。市役所の担当の方を紹介する。近く?恐らく蔵造りの実測図面が載るようです。

今年も恒例の実測調査の時期が来ました。夏休み最後の8/30〜31に調査に入ります。今までブログを読んでいただけている方の中で、少しでも面白さを感じてもらえている方は、連絡を〜!
場所の詳細は、ここでは、詳しく書けませんが、蔵造りの町並みの中の一軒です。
越生にて実測調査
今日は、埼玉県越生町にて「越生織物会館」の実測調査へ行って来ました。どうも、このブログの内容は、実測調査の話ばかりで、本業か?と思わそうです。(笑)
木造2階建ての洋館で、昭和5年竣工。張間5間・桁行10間の総2階。
今日は、日曜日だったので、総勢12〜3名が集まり朝10時から夕方5時まで。

意匠的な部分で見ると、このころの洋館は、入り口に庇を廻すのだが、必ず壁面から吊っています。(今でもそうか...)また、その庇の排水は、躯体内に縦樋を埋め込むという荒業です。今日の庇は、屋根をかけて前面への垂れ流しに改造されていましたが、直下の壁面下部からは、躯体内からの配水管が顔を出していました。

また、照明周りのレリーフは、織物会館だけあって、桑の葉?に蚕から帰った「蛾」?をあしらってあったり...。

今回の調査は、当時の図面と仕様書が残っていました。これは、当時!設計者がどのような姿を望んで創ろうとしていたのか?また、その姿から現実的な問題を受けてどのような姿で建ち、その後どう使われたのか?など、興味深いところです。
いろいろな部分で図面との違いが多く見受けられ、それが、当初のものか?後のことかは創造の域を出ないが、確実に当初の図面のまま竣工していない事は間違いないであろう。
実測調査に思う
さて、今年の実測調査もほぼ完了?し、後は、印刷を待つのみとなりました。そして、タイミング良く、某建築雑誌の「建築○識」4月号のp.182に一昨年(だったような...)の成果物の一部がほんのちょっと掲載されています。どうやら、連載らしいので(笑)何回か一部分が載るみたいなので、興味のある方は、書店へ(マトリックス風の表紙のB5版の雑誌です)。

今回の一番難しい所は、復元を考察し図面化することでした。元所有者からの聞取り、昔の写真、現況を基に行うわけですが、当然!食い違いが一杯出てくるわけです。(笑)100年以上も建っていれば、その間に色々建物にもある訳で...。それを痕跡から推測し仮定して作って見て、整合していく...(整合しませんが...爆)これを繰り返して行くと、何となく近づくんだと思います。

一見、「蔵造り」というとほぼ同じに見えるが、建物ごとに相当な違いがあり、それに携わった職人によって違うものになってくるんでしょう。

って事で、ちょっとでも興味が沸いた!って方が居たら連絡下さ〜い!一緒に実測調査をしましょう(今のところ予定無しですが...)

で、現実へ戻ってくるわけですが、終る度に思う。この交信を私も残したいと。交信とは、昔の創った人と、今の人間との交信です。昔の人はそんなこと考えていなかったと思うけど、今、調査をして、それを読み解いて行くという作業を行う機会を得てちょっとでも当時の様子を垣間見ようとしている。これが出来るのは、残っているからで、消えていってしまったものからとでは、大きな差がある。
100年後に、運良く?残っていった建物になれるように...。
そして、交信してきてくれるような建築を...。
今日の感動!
野帳焦り気味です。午前中にちょっと打ち合わせに行って...。屋根の形がイマイチ納まりが悪い...などなど...。
帰ってきて、午後から補足調査に入りました。参加人数は私のみ(笑)
今回の一番の難題は、一枚の写真から復原考察を行い復原図まで作成しなければならないところです(涙)予想以上に難しいです。
復原考察に入るにあたり、現況の図面を起こしてもらっています(私の分は、屋根伏図と柱傾倒図などですが...)下屋部分がばっさり切り取られているこの建物の下屋の形、観音扉の高さなど...不明箇所は、探せばキリが無く、一つわからないと先に全然進めないって感じです。(性格上の問題です。エイヤで描いちゃうことが出来ない(涙)で、今日は、何をしてきたかといいますと、下屋の勾配を既存の建物の柱に刻まれた仕口や痕跡から探る事でした。
本調査時に、壁面を解体して下屋に掛かる梁の先端部分が出てきましたので、実測を行っていますが、図面化になると...。
今日の感動って書いてるように、ちょっとした発見がありました。その梁の先端は、片面しか見えず、後から増改築した胴縁や柱などが廻りに付いていて、良く見えないんですが、手で触りまくるわけです。そうすると、頭が入っていかない部分の形が見えてくる。どうも、本調査の時に垂木が乗っていたと思っていた梁先端の勾配は、垂木の上の野地板が乗っていた面である事がわかりました。その奥に、ちゃんと垂木が乗る仕口になっていたんです。いわゆる兜蟻掛けの仕口です。仕口を含み痕跡を野帳に取り、戻ってCADに入れてみる。そうするとですよ!勾配は、4.5寸勾配で垂木メンバーは、屋根の垂木と同じとすると45×60で野地板24mmで...すげ〜!ぴったりだよ〜!この仕口!って実測してきたんだから当たり前なんだけど、なんか感動。
勾配がわかると、今度は、写真から瓦の枚数から流れ長さが出てきて...2階の柱に残る痕跡から観音扉の窓台の高さに向って伸びていく。ってすげ〜順調そうに書いているが、全然順調ではない。残り10日。ヤバイ。
実測調査完了
旧KSM2/1〜2/3の3日間で実測調査を行いました。今回、私は、殆ど戦力にならず(涙)何してたんかな〜?って自己嫌悪です。とは云え、高所作業車に初めて乗り込み(笑)蔵造りの妻面からの実測を敢行!初体験の高所作業車はとても男の子心をくすぐるものでした。
今回も、色々と発見はありましたが、去年ほどの興奮は...。
ただ、大胆に改修された蔵の昔の姿を痕跡から追っていく作業には、なるほど〜なるほど〜の連続で大変勉強になりました。
当然、痕跡を追うには、既存の壁面及び天井及び床の新しく付けられたものを解体していくわけで...普段デスクワーク主体の私の可愛い手は、解体の痕跡くっきり(笑)棘が何本も刺さりまくり、足には、ミミズ腫れも...。

写真は、高所作業車からの一枚!3軒並ぶ蔵造りの棟が、う〜んいいね〜!横に移っているのは、YKYMさん。
実測調査
k-様ここ数年の風物詩と化してきた「実測調査」が今年も始まります。来月早々の1・2・3日の3日間での蔵の調査&復原考察です。写真が今回の建物です。何時の写真かはちょっと不明ですが、電柱の道路標識が英語なので、戦後すぐくらいの写真でしょうか?3人の人物も何となく、時代を感じさせています。う〜ん。良く見るとうまいバランスで人物が入ってますね〜。
写真には、ちょっとモザイクを入れています。モザイク部分に店名が入っており、現在は、2階というか、下屋の上に増築がなされているので、これが何処か?わかるかな?一応、棟札は保存されており明治26年の建物です。そう川越の明治26年は、「川越大火」の年です。火事で焼けた後に、近く?の越生で建てられるように刻んであったものをそのまま持ってきて建てているという話の蔵です。
お〜ここまで読んで興味を持ったあなた!すぐに連絡を下さいね。一緒に調査しましょう。実測調査の楽しいところは、当時に創り手の隠れている部分に光をあてる所です。光をあてられた時に光るはずです。今回も光りそうな気がしますが、光らなかった時は、光をあてる側の力不足?だから、一杯の光をあてて光らせてあげましょうよ。そのためにもあなたの光が必要なんです(笑)