実測調査終了!
kbys080831昨日、今日と実測調査に入りました。昨日は、私は、ちょっと用事が....。数時間で戻れるはずが...あれ~?戻れずに何もしてません(涙)で、今日は、昨日の借りを返すぞ~とばかりに...屋根伏図に取り掛かりました。雨が降ったらOUTです。スッテンころりんで危険です。でも、今日は、すごくいい天気でしたね。で、写真がそのワンショットです。何処だかわかりますか~?
時の鐘があって、りそなが見えて...。

今回の実測調査では、力不足であまり昔の職人の声を聞き取れなかった。くぅ~!
もう少しね~壁・天井・床と既存部分が見えてればね...。とは、云え皆やりなれた方々は、天井をぶち抜き、壁を剥がし!少しでもと頑張りましたが...それほどの成果は得られなかった。まぁ~そういう時もあるので、次回を楽しみに待ちましょう。
再度!実測調査ですよ~!
今日は、今週末から調査に入る建物の事前調査?というか、カギの開け閉めの話と内部をちょっと見せてもらってきました。内部は、新建材でほぼすべて覆われてしまっており...当時の様子を伺うのはちょっと難しいか?でも、天井が一部はがされており、棟札がちゃんと付いていました。暗くてよく見えませんでしたが、「大正14年4月6日」と書いてありました。いまから約83年前です。
wikipediaによると...
○イタリアのベニート・ムッソリーニが独裁宣言
○日ソ基本条約締結
○ハワード・カーターがエジプトの王家の谷でツタンカーメンの王墓を発見
○イギリスが金本位制に復帰
○キプロスが英国の直轄植民地となる
○ジュネーヴ議定書署名
○アドルフ・ヒトラー『我が闘争第1巻』公表
○帝国議会議事堂全焼
○山手線で環状運転開始
○アドルフ・ヒトラーを保護する組織としてナチス親衛隊設立
○チャールズ・チャップリン『黄金狂時代』

世界がこんな時に、川越のここではこれが作られていたんだ~と...。

はい!今回は、83年前の職人さんとの通信です。
どんな通信が来るか楽しみですね~!あ~私も聞きたいって方は、今週末の30・31の実測調査へ参加願います(笑)まだまだ募集中ですよ~!
メールくださいね。
実測調査へのお誘い
五輪で熱くなっているここ最近。仕事でも熱くなりっぱなしでコメカミに血管が浮き出ます(笑)が、世の中捨てたもんだじゃないな~。すご~く嬉しい事もありました。(ニヒィ!)やっぱり「相当な幸せ者」だったようです。(笑)悪い事も良い事も程ほどにです。

さて、以前ブログでも紹介しました「建○知識」さんから電話があって、以前掲載したものを今度書籍化するとのことで、図面掲載の許可を...。前回も話したんっだがな~と思いつつ。市役所の担当の方を紹介する。近く?恐らく蔵造りの実測図面が載るようです。

今年も恒例の実測調査の時期が来ました。夏休み最後の8/30~31に調査に入ります。今までブログを読んでいただけている方の中で、少しでも面白さを感じてもらえている方は、連絡を~!
場所の詳細は、ここでは、詳しく書けませんが、蔵造りの町並みの中の一軒です。
越生にて実測調査
今日は、埼玉県越生町にて「越生織物会館」の実測調査へ行って来ました。どうも、このブログの内容は、実測調査の話ばかりで、本業か?と思わそうです。(笑)
木造2階建ての洋館で、昭和5年竣工。張間5間・桁行10間の総2階。
今日は、日曜日だったので、総勢12~3名が集まり朝10時から夕方5時まで。

意匠的な部分で見ると、このころの洋館は、入り口に庇を廻すのだが、必ず壁面から吊っています。(今でもそうか...)また、その庇の排水は、躯体内に縦樋を埋め込むという荒業です。今日の庇は、屋根をかけて前面への垂れ流しに改造されていましたが、直下の壁面下部からは、躯体内からの配水管が顔を出していました。

また、照明周りのレリーフは、織物会館だけあって、桑の葉?に蚕から帰った「蛾」?をあしらってあったり...。

今回の調査は、当時の図面と仕様書が残っていました。これは、当時!設計者がどのような姿を望んで創ろうとしていたのか?また、その姿から現実的な問題を受けてどのような姿で建ち、その後どう使われたのか?など、興味深いところです。
いろいろな部分で図面との違いが多く見受けられ、それが、当初のものか?後のことかは創造の域を出ないが、確実に当初の図面のまま竣工していない事は間違いないであろう。
実測調査に思う
さて、今年の実測調査もほぼ完了?し、後は、印刷を待つのみとなりました。そして、タイミング良く、某建築雑誌の「建築○識」4月号のp.182に一昨年(だったような...)の成果物の一部がほんのちょっと掲載されています。どうやら、連載らしいので(笑)何回か一部分が載るみたいなので、興味のある方は、書店へ(マトリックス風の表紙のB5版の雑誌です)。

今回の一番難しい所は、復元を考察し図面化することでした。元所有者からの聞取り、昔の写真、現況を基に行うわけですが、当然!食い違いが一杯出てくるわけです。(笑)100年以上も建っていれば、その間に色々建物にもある訳で...。それを痕跡から推測し仮定して作って見て、整合していく...(整合しませんが...爆)これを繰り返して行くと、何となく近づくんだと思います。

一見、「蔵造り」というとほぼ同じに見えるが、建物ごとに相当な違いがあり、それに携わった職人によって違うものになってくるんでしょう。

って事で、ちょっとでも興味が沸いた!って方が居たら連絡下さ~い!一緒に実測調査をしましょう(今のところ予定無しですが...)

で、現実へ戻ってくるわけですが、終る度に思う。この交信を私も残したいと。交信とは、昔の創った人と、今の人間との交信です。昔の人はそんなこと考えていなかったと思うけど、今、調査をして、それを読み解いて行くという作業を行う機会を得てちょっとでも当時の様子を垣間見ようとしている。これが出来るのは、残っているからで、消えていってしまったものからとでは、大きな差がある。
100年後に、運良く?残っていった建物になれるように...。
そして、交信してきてくれるような建築を...。
今日の感動!
野帳焦り気味です。午前中にちょっと打ち合わせに行って...。屋根の形がイマイチ納まりが悪い...などなど...。
帰ってきて、午後から補足調査に入りました。参加人数は私のみ(笑)
今回の一番の難題は、一枚の写真から復原考察を行い復原図まで作成しなければならないところです(涙)予想以上に難しいです。
復原考察に入るにあたり、現況の図面を起こしてもらっています(私の分は、屋根伏図と柱傾倒図などですが...)下屋部分がばっさり切り取られているこの建物の下屋の形、観音扉の高さなど...不明箇所は、探せばキリが無く、一つわからないと先に全然進めないって感じです。(性格上の問題です。エイヤで描いちゃうことが出来ない(涙)で、今日は、何をしてきたかといいますと、下屋の勾配を既存の建物の柱に刻まれた仕口や痕跡から探る事でした。
本調査時に、壁面を解体して下屋に掛かる梁の先端部分が出てきましたので、実測を行っていますが、図面化になると...。
今日の感動って書いてるように、ちょっとした発見がありました。その梁の先端は、片面しか見えず、後から増改築した胴縁や柱などが廻りに付いていて、良く見えないんですが、手で触りまくるわけです。そうすると、頭が入っていかない部分の形が見えてくる。どうも、本調査の時に垂木が乗っていたと思っていた梁先端の勾配は、垂木の上の野地板が乗っていた面である事がわかりました。その奥に、ちゃんと垂木が乗る仕口になっていたんです。いわゆる兜蟻掛けの仕口です。仕口を含み痕跡を野帳に取り、戻ってCADに入れてみる。そうするとですよ!勾配は、4.5寸勾配で垂木メンバーは、屋根の垂木と同じとすると45×60で野地板24mmで...すげ~!ぴったりだよ~!この仕口!って実測してきたんだから当たり前なんだけど、なんか感動。
勾配がわかると、今度は、写真から瓦の枚数から流れ長さが出てきて...2階の柱に残る痕跡から観音扉の窓台の高さに向って伸びていく。ってすげ~順調そうに書いているが、全然順調ではない。残り10日。ヤバイ。
実測調査完了
旧KSM2/1~2/3の3日間で実測調査を行いました。今回、私は、殆ど戦力にならず(涙)何してたんかな~?って自己嫌悪です。とは云え、高所作業車に初めて乗り込み(笑)蔵造りの妻面からの実測を敢行!初体験の高所作業車はとても男の子心をくすぐるものでした。
今回も、色々と発見はありましたが、去年ほどの興奮は...。
ただ、大胆に改修された蔵の昔の姿を痕跡から追っていく作業には、なるほど~なるほど~の連続で大変勉強になりました。
当然、痕跡を追うには、既存の壁面及び天井及び床の新しく付けられたものを解体していくわけで...普段デスクワーク主体の私の可愛い手は、解体の痕跡くっきり(笑)棘が何本も刺さりまくり、足には、ミミズ腫れも...。

写真は、高所作業車からの一枚!3軒並ぶ蔵造りの棟が、う~んいいね~!横に移っているのは、YKYMさん。
実測調査
k-様ここ数年の風物詩と化してきた「実測調査」が今年も始まります。来月早々の1・2・3日の3日間での蔵の調査&復原考察です。写真が今回の建物です。何時の写真かはちょっと不明ですが、電柱の道路標識が英語なので、戦後すぐくらいの写真でしょうか?3人の人物も何となく、時代を感じさせています。う~ん。良く見るとうまいバランスで人物が入ってますね~。
写真には、ちょっとモザイクを入れています。モザイク部分に店名が入っており、現在は、2階というか、下屋の上に増築がなされているので、これが何処か?わかるかな?一応、棟札は保存されており明治26年の建物です。そう川越の明治26年は、「川越大火」の年です。火事で焼けた後に、近く?の越生で建てられるように刻んであったものをそのまま持ってきて建てているという話の蔵です。
お~ここまで読んで興味を持ったあなた!すぐに連絡を下さいね。一緒に調査しましょう。実測調査の楽しいところは、当時に創り手の隠れている部分に光をあてる所です。光をあてられた時に光るはずです。今回も光りそうな気がしますが、光らなかった時は、光をあてる側の力不足?だから、一杯の光をあてて光らせてあげましょうよ。そのためにもあなたの光が必要なんです(笑)
川越の建物
山崎別邸今日は、知り合いから誘われて、川越市博物館で開かれた「川越の建物2-まちなかの建物をみよう-」の講演会と見学会へ参加してきました。
今回のテーマは、「建築家保岡勝也と川越の近代....山崎別邸を中心に....」で、保岡勝也研究の第一人者の埼玉大学の内田清蔵先生のお話でした。
ん?保岡勝也?...誰?って...。そう、私も正直、その建築家を知ったのは、数年前にある建物の実測調査したのをきっかけに知りました。その後、何の縁かわかりませんが、その建物の復元の設計をやるようになりさらに彼に近づく機会が増えました。とは云え、保岡勝也という人自体の研究がまだ、それほど進んでおらず、ネットで検索してもそれほど出てくるものではなく、今日の、講演会を聞いて、なるほど~なるほど~!と思うと同時に、私の抱いていた建築家像と少し掛け離れていました。それは、何故かといえば、今で言う「住宅作家」の顔(これが本筋だったらしい)であったという事だと思います。そして、私が復元をしているものは、住宅ではない。この違いは大きく、大変勉強になりました。
さて、私の話は、置いておいて、保岡勝也氏が設計した建物が川越には、なんと4棟ありました。そのうち、3棟は、現存しており、昨年?川越市が取得した「山崎家別邸」(大正14年)もその一つである。こちらも、数年前に『掃除大会』という企画がありその時に拝見して川越にまだ、こんな素晴らしいものがあるんだ~って感動したものです。今日改めて、見学へ向ったのですが、庭が整備?されていて、数年前の様子とは、大きく変わってしまった感じ...(なんとなく、イマイチな庭=笑)で....。
それも、置いておいて...。本題へ
  今日、久々に山崎別邸の見学へ行き、玄関入ってホールの左手に「倉庫」がありました。これは、見学禁止で入れませんでした。正直、私は、ここがすごく気になって気になってしょうがなかったんです。他の公開された部分は、前にも見たし、素晴らしいのは、わかったし...(失敬な!)。う~ん。なんで、この倉庫が気になったか?は、ちょっと前のブログを読んで欲しいのだが、この建物を設計したのは、前途のように、「保岡勝也氏」である。それで、この建物の棟梁は?、資料によると「棟梁 関谷国造」となっているんです。そう、これは、先日実測調査した土蔵(1860年)の「棟梁 五代目 関谷平兵衛」の系列です。元々、山崎家の出入りの棟梁として、「関谷家」が入っていたようなのですが、あの、小屋組みが気になって...気になって....(笑)
先日、実測調査の報告書を文化財保護課へ提出しに行った時に、他の蔵造りの資料を少し見ました。そこで、なんと、見つけたんですよ~!類似の小屋組みを!これは、ある家の「文庫蔵」が同じ「関谷」家の棟梁でやっていたのです。この文庫蔵は3階建てで、構成は、非常に似ています。ただ、図面も簡単な断面図しかないのと、桁行3間程度だったので、登り梁は使ってるようでしたが、イマイチ何処まで出来ているのか?わからない。(笑)登り梁だけでも成立しそうな感じで...。でも、可能性は、極めて高いと思っており、今回の「倉庫」と呼ばれている部分も中二階及び地下室となっております。これは、建物プロポーション上(外観は洋館)高さが3層分取れないが、スペースは必要という機能上、例の小屋組みが採用される土壌があるからです。まぁ~張間・桁行とも短いので、あまり効果は、薄いと思うのですが....。いずれにしろ、「関谷家」の棟梁が手がけて建物の小屋組みのルーツが気になるんです。推理は、続くのです。

ん?どんな推理?(笑)う~我慢が出来ないので書いちゃいます。
昔(江戸時代とかです)の出入りの棟梁というのが旦那とどういう付き合いをしていたか私には、わかりません。(笑)でも、旦那と付き合うには、それなりの技術が必要だったと思うんです。同じ大工でも和小屋しか組めない棟梁と、登り梁を入れた組み方が出来る棟梁では、大きな違いだと思うんです。要するに、この技術は当時、すごい「営業ツール」だったんではないか?という推理です。今回の山崎別邸の設計を保岡勝也氏に依頼した山崎嘉七(四代目)は、保岡の実力を信頼して大正4年に川越貯蓄銀行(取り壊し=現存してない)を始め、大正7年第八十五銀行(現埼玉りそな銀行)大正14年山崎家別邸と依頼してきてるわけで、良いものは、取り入れるという旦那?の血を想像しても間違いないのでは?と思うわけです。
「出入りの職人さん」って言われれば、あ~そうですか...。で終わってしまうのですが、それじゃ?どうして出入りできるようになったのか?その「きっかけ」が隠れていたら、ただ建物を見て、誰が、作ったとか、すごい材料使ってるとか、古いだとかだけじゃなくて、面白いと思いませんか?
考察の続き その2
kjm070218前回の続きで今日の考察結果(笑=もうしつこい?)前回で触れた小屋束の3箇所の痕跡ですが、何故1箇所しか見受けられなかったのか?が何となく推理することが出来ました。
この写真は、前回と同様ですが、番号を振りました。これは、組んでいく順番を表しています。
①柱を建てる
②登り梁を掛ける
③中引き梁を登り梁の下に設置する。(設置の仕方の考察は、前を呼んでね。)
④軒桁を掛ける
⑤小屋梁を掛ける
⑥天秤梁を設置する。(この設置方法は、恐らく中引き梁から吊り上げたと思われる)
ココからが、今日の考察部分
⑦中央の小屋束を設置する。
  これで、天秤梁も中引き梁も一応、固定される。
⑧画面向って右の小屋束を入れる。
  この小屋束は、⑦で入れた小屋束を支点として、まさに天秤になっているので、比較的入れやすいはずなのです。
⑨最後がこの画面向って左の小屋束です。

なぜ?⑨の小屋束が最後か?と考えたのか...。それは、前回の考察で3箇所の痕跡が付いていた小屋束が⑨の小屋束だからです。
⑦・⑧の小屋束が入っていると相当最後の小屋束を入れるのは、至難の業だからです。よって、痕跡が残るほど叩いて入れたのでは?ないかと...(笑)

今回の実測調査は、予想以上にはまってしまったな~(笑)
実は、この小屋組みの組み方をブログで書いてきたが、それとは別で当時の棟梁の勢力図?なども推理をしていました。(爆)これは、ぜんぜんか確証が取れていないので、書けませんが...。いずれにしろ、一つの小屋組みから色々な事が推理できて、もしかして...って考えると147年前にタイムスリップできて楽しいですよ!これを読んで少しでも興味を持った人は、次回から参加して一緒にタイムスリップして推理しましょうね~!
考察の続き
kjm070216-1さて、先日の実測調査の小屋組みについていまだに考えています。組み方の順番は前回の考察で間違いないと思われます。この写真の白い↑の部分に例の仕口があるわけですが...。なんで?みんな同じ方向に仕口を持ってきたんだ?って事で悩んでいます。(笑)
え?なんで?そんな事で悩むんだ~?って話もあるんですが...。同じ方向から全て差し込んでいるという事は、色々な振動に対して、一方向(差込方向)は、弱い造りになっているって事だろうと考えるわけです。しかも、前回の話のように、下面は、少し斜めになっているので、鉛直荷重だけでも水平方向に力が働くようになっているわけです...。
kjm070216-2ココで2枚目の写真を見てみましょう。白い↑の部分です。これが見受けられたのは、1本しか見つけられなかったのですが、この小屋束を叩いて入れ込んだ痕跡?なのでは?と推測する訳です。

正直、この糸口を見つけた時は、感動したんですね(笑)でも、ココまでやる棟梁が最初に述べた話を考えていない訳は無いだろう~って。意匠的には、この仕口が見える側は階段から上がってくる方向と逆につけているので多少の意味は感じますが、蔵の内部でそれが第一の優先事項にはならないだろうと。そうすると何か別の意味があるんじゃないかな~って悩んでいるわけです。(別にそんなこといいんじゃない~って声が聞こえてきそうですが...爆)

意匠上の問題が優先事項では無いだろうと先程書きましたが、もし、同じ方向でもこの差し込んだ小屋束が抜けない一工夫をしていたら...と考えると、意匠上見えない方向に全て同じ仕口を仕込んだというストーリーも行けるんでは?...。

そう、この仕口が差し込んだ方向へ抜けなければ、良いだけの話なんだから...。
では、抜けないようにするには、どんな工夫が考えられるか?
今回の小屋組みは、京呂組と折置組を交互に設けたりして非常に凝ったものです。恐らく、その仕口には、割楔なども当然行われていると思われます。そうするとですよ...。この小屋束の下端の仕口にも楔を使っているのでは?しかも抜けないように「地獄ほぞ」の変形版をもちいてる?な~んて考えたいんです。(希望)
これは、ほぞを打ち抜かずに材同士を緊結する場合に用いられるほぞです。前出の割楔は、打ち抜かれた先端から打つタイプに対し、これは、ほぞ先に楔を付けた状態でほぞ穴に差込みそのまま入ったが最後、内部で割楔分だけほぞ先が広がり、二度と抜けなくなるものです。ちょっとほぞ自体が細いので、楔が入ってるか疑問な部分もありますが、周りに込み栓とかの細工が見受けられないので、もし何かしてるとすれば「地獄ほぞ」だろ~と。

結局、結論は、出ないんです(笑)でも、何か気になる部分なんです。
棟梁が残したこの仕口!本当は、何も考えていないかも知れないけど...。微妙に見える位置にこの仕口を残しヒントを与えてもらった。でも、その次のステップとして何故?同じ方向にしたのか?「お前はわかるかい?」って声が~(聞こえないよ~!)
あ~本当にレントゲン撮りたいな~(爆)ハンディーレントゲンとか無いかな~?
でもな~レントゲン撮って何にもやってなかったらな~って思うし(爆)ね。
とりあえず、実測調査の楽しみ方「その1」でした。
二日目の考察
070207-1昨日、今日と行った実測調査も無事に終了することが出来ました。そして、昨日の懸案事項というか...謎?について、今日も、色々と考えながらの調査でした。そして、ついに、その糸口を見つけてしまったのだ~!(やった~って感じです。マジで感動?)
それが、一枚目の写真です。昨日の写真の方向と逆から撮影しています。さて、昨日の写真と何が?何処が?違うの?ってことですね。このアングルは、高い脚立の上から取っていますので、床に立って見上げると殆ど気付かない細工があったのです。
昨日の、復習です。登り梁と和小屋が交互に配置されたこの建物の小屋組みをいかにして組んでいったのか?仮定として、柱・登り梁・中引き梁・桁・小屋梁・天秤梁・小屋束の順番という仮定をしたのが昨日までの話です。しかし、昨日の時点では、最後の小屋束が入れられないという問題が残っていたわけです。
さぁ~ココまでこれば、一枚目の写真を見て解決できましたか?

070207-2ちょっと、話をずらして、登り梁の上部の写真です。画面右下の大きな部材が桁方向に通る1本の中引き梁です。この中引き梁の上に乗る感じで、登り梁が相欠きで組み合わされています。丁度「はさみ」の様な感じですね。
この部分から中引き梁は、登り梁の後にこの位置に来ないとこの小屋組みが成立し無い事が分かります。仮に、先に中引き梁が先にこの位置にあったとすると、和小屋部分が先に出来ていないと、この中引き梁は、空中に浮いている状態になる。和小屋があるという事は、桁が設置されていないと和小屋が組めない。桁が設置されているとすると、登り梁は設置されていないといけない(爆)って戻ってくるんですね~!
よって、登り梁を相欠きして、込み栓して、先ず固定して、中引き梁を下から入れている事になります。この下から入れる作業で、恐らくこの登り梁の先端が伸びている部分が活躍?したのではないかと考えます。先端をちょっとづつ伸ばしてあることで、この間の部分にロープを掛けて、中引き梁を引き上げたのではないでしょうか?(お~!)

070207-3さぁ~!そろそろ、本題へ!ってことで、今日見つけた糸口は、ココ(写真3枚目)です。これは、和小屋の小屋梁(画面下の材)と天秤梁(画面上の部材)と小屋束(画面中央の短い材)です。昨日の時点での問題は、最後に小屋束が入れられないのが問題だったのですが、これなら入れられる。そう、小屋梁に小屋束下部のほぞを横からスライドして入れられるような仕口になっているのが分かりますでしょうか?これで、昨日の仮説が一気に真実味が出てきました。しかも、写真4枚目で観るように、この束の下端は少し斜めに設定してあるのです。他の束もほぼ同様です。下端を斜めに設定することで、束が入れやすくなる訳です。恐らく、束の上端も短いほぞが天秤梁の下面に刺さる感じなので、斜めからそのほぞを刺しながら、上に持ち上げつつ横にスライドさせる(笑)
070207-4いや~これにて一件落着!本当に素晴らしい小屋組みです。悔しくなるぐらい良い(笑)昔の人は、これを技術として行っている所がさらに悔しさを倍増させている原因だ~!蔵はいわゆる倉庫ですよ。ココは、茶箱が恐らく小屋組みなんか見えないぐらい一杯一杯入っていたはず。技術が機能を満たしさらにデザイン的に優れている!3拍子揃うなんて...。
今回の実測調査はすごく刺激を受けました。そして、こういう建物がひょんな所に平然と存在しているなんて...勿体無い!と思うと同時に川越の底力を感じましたね~。江戸時代の技術に負けないものを平成という時代に創りましょうね~!(歴史の上塗り)今から147年後の人達に....。
実測調査初日
小嶋家実測調査初日が無事に終了です。今日は、総勢8名での調査でした。始めに所有者からの挨拶とこちらのメンバーの紹介などをした後に、この土蔵の歴史を少しお話いただきました。万延元年(1860年)12月16日と棟木に記してあり、棟梁五代目関谷平兵衛と見て取れました。元々は、お茶を販売していたようで、茶箱を保存するための蔵だったとのことです。
さて、昨日のブログにも書きましたが、新しいものとの出会いは、やはりありました。(新しいという表現は、私にとってです。147年も前のものですから~)
それが、写真です。この土蔵の小屋組みですが...。一見して、ふぅ~ん!梁が太いね~とか、中引梁は相当太いね~とか、そういう事じゃないんです(笑)まぁ~それもありますが、次に気付くのは、小屋の組み方です。写真で見える一番手前と次ぎの部分は、和小屋と呼ばれ、小屋梁が軒桁の上に架かりその上に束を立てて、天秤梁が載って、左右に母屋、中央に中引梁を乗せています。この中引き梁の上にまた束が建ち棟木が載ってきます。その奥に見える斜めの登り梁がこの建物の端から端まで通る中引き梁に掛かっています。この建物は、桁行方向に5間あるので、端から和ー登ー和ー和ー登ー和という構成になっているわけです。へぇ~そうなんだ~!ちょっとデザインしちゃったのね(笑)とかそういう貧相な発想では無いようなんです。
当然、機能的にって事があるようです。どうも、この土蔵は、3階建て?(2・3階部分の天井は、結構低い感じになるが...)の様な使い方で、恐らく登り梁部分は、小屋梁が邪魔だったという事だと思われます。類似の小屋組が近くにあるそうです。

小嶋家実測調査2さて、本題です。(ココまで長かったね~)
この小屋組みをどうやって組んで行ったのか?という部分が今日の最大の興味を引かれた部分です。単純に考えると、
1・柱が建つ
2.登り梁を掛ける(ちなみに、合掌の先端は、相欠きをしてあります。)
3.桁を掛ける(柱の上に登り梁がのって、その上に桁です。
   →通常?ですと、柱の先端は、重ねほぞとなっており、
   登り梁と桁を貫通して、上部から楔を打って固定します。)
4.中引梁を2の登り梁の下から入れていく
   (この状態は宙ぶらりんなので、サポートが必要です。)
-----ここまでで、登り梁部分は、完成!--------------------
5.小屋梁を軒桁の上の架ける
6.5の上に束を建てる
7.天秤梁を4の梁の下に入れつつ、6の束の上に乗せます。
-----これで完成!----------------------------------------
って話になりそうですが、実は、これうまく行かないんです。(笑)
この順番だと7の天秤梁は入らないんです。
写真を見てもらえば分かるように、天秤梁は、中引梁に食い込んでる(仕口がある)
同時に、左右では、下からの小屋束があるこの束にも当然ほぞが出ていると考えれば、入らないわけなんです。う~謎だ~!
他の順番は?というと、先に和小屋部分を作って、登り梁を入れてから、下の柱を入れるという方法もありえるか?これも、柱が全て通し柱で、下部には、土台があるので...現実的な解とはいえないであろう。
う~ん。悩む悩む(笑)これが特殊解ではない(類似小屋組みが現存している1850年の建物)以上、何かしらの方法があるはずです。

小嶋家実測調査1う~仕口部分をX線レントゲンで撮影がしたい(爆)
いずれにしろ、この手の組み方は、片方がもう片方を押える留めるという自閉式で大変素晴らしいです。さらに言えば、147年も前の建物なのに、屋根は相当しっかりしたもので、雨漏れの跡は一切見受けられなかったです。蔵造りは、瓦が載って、箱棟がのって、鬼瓦・影盛がのって...と屋根の荷重は相当重いのです(涙)でも、147年という時間の長さがこの小屋組みの有効性を証明しています。これまで、いくつか実測調査に入りましたが、これほどワクワクしたのは、初めてです。明日も頑張りましょう!
明日は実測です。
 今日一日は、結構ず~っと出たり入ったり(泣)朝早くから深谷方面へ行ってだたっぴろい敷地を見て、帰ってきて、一息ついて、市内数箇所を廻って、帰宅して、また、打ち合わせに出て....。戻って、あ~明日の準備ってことで備品購入のため外出。まぁ~働く社会人としては、普通か...(笑)
さて、明日からは、久々に地元NPOでの活動で古い土蔵の実測調査です。
実測調査の楽しみは、いわゆる、新築物件のOPEN HOUSEに近い感覚だと思います。それが、新しいか、古いかの違いで、新しい場合も刺激も受けるが、古いのは、刺激以上に感動と発見があります。普段見慣れた蔵造りの建物が、実は....とか、いつもあそこは、隠れていて見えないんだけど、扉を閉めると昔の職人さんの技や遊び心やデザインというものを観ることが出来ます。同時に、何で?こうしたんだろう?とか、そういう部分を創造して仮定して考えてみるのも面白いです。
この様な活動は、とかく、専門的な分野として見られがち(確かにその部分は大きいですが=笑)むしろ一般の人でも、一度、数日通して参加してもらえればな~って思います。一回参加すれば、次回もやりやすくなるし、より川越好きになれる?とおもうのだが...。問題は、平日の昼間に調査をするから一般の人は、参加しにくいよね~。