
初日が無事に終了です。今日は、総勢8名での調査でした。始めに所有者からの挨拶とこちらのメンバーの紹介などをした後に、この土蔵の歴史を少しお話いただきました。万延元年(1860年)12月16日と棟木に記してあり、棟梁五代目関谷平兵衛と見て取れました。元々は、お茶を販売していたようで、茶箱を保存するための蔵だったとのことです。
さて、昨日のブログにも書きましたが、新しいものとの出会いは、やはりありました。(新しいという表現は、私にとってです。147年も前のものですから~)
それが、写真です。この土蔵の小屋組みですが...。一見して、ふぅ~ん!梁が太いね~とか、中引梁は相当太いね~とか、そういう事じゃないんです(笑)まぁ~それもありますが、次に気付くのは、小屋の組み方です。写真で見える一番手前と次ぎの部分は、和小屋と呼ばれ、小屋梁が軒桁の上に架かりその上に束を立てて、天秤梁が載って、左右に母屋、中央に中引梁を乗せています。この中引き梁の上にまた束が建ち棟木が載ってきます。その奥に見える斜めの登り梁がこの建物の端から端まで通る中引き梁に掛かっています。この建物は、桁行方向に5間あるので、端から和ー登ー和ー和ー登ー和という構成になっているわけです。へぇ~そうなんだ~!ちょっとデザインしちゃったのね(笑)とかそういう貧相な発想では無いようなんです。
当然、機能的にって事があるようです。どうも、この土蔵は、3階建て?(2・3階部分の天井は、結構低い感じになるが...)の様な使い方で、恐らく登り梁部分は、小屋梁が邪魔だったという事だと思われます。類似の小屋組が近くにあるそうです。

さて、本題です。(ココまで長かったね~)
この小屋組みをどうやって組んで行ったのか?という部分が今日の最大の興味を引かれた部分です。単純に考えると、
1・柱が建つ
2.登り梁を掛ける(ちなみに、合掌の先端は、相欠きをしてあります。)
3.桁を掛ける(柱の上に登り梁がのって、その上に桁です。
→通常?ですと、柱の先端は、重ねほぞとなっており、
登り梁と桁を貫通して、上部から楔を打って固定します。)
4.中引梁を2の登り梁の下から入れていく
(この状態は宙ぶらりんなので、サポートが必要です。)
-----ここまでで、登り梁部分は、完成!--------------------
5.小屋梁を軒桁の上の架ける
6.5の上に束を建てる
7.天秤梁を4の梁の下に入れつつ、6の束の上に乗せます。
-----これで完成!----------------------------------------
って話になりそうですが、実は、これうまく行かないんです。(笑)
この順番だと7の天秤梁は入らないんです。
写真を見てもらえば分かるように、天秤梁は、中引梁に食い込んでる(仕口がある)
同時に、左右では、下からの小屋束があるこの束にも当然ほぞが出ていると考えれば、入らないわけなんです。う~謎だ~!
他の順番は?というと、先に和小屋部分を作って、登り梁を入れてから、下の柱を入れるという方法もありえるか?これも、柱が全て通し柱で、下部には、土台があるので...現実的な解とはいえないであろう。
う~ん。悩む悩む(笑)これが特殊解ではない(類似小屋組みが現存している1850年の建物)以上、何かしらの方法があるはずです。

う~仕口部分をX線レントゲンで撮影がしたい(爆)
いずれにしろ、この手の組み方は、片方がもう片方を押える留めるという自閉式で大変素晴らしいです。さらに言えば、147年も前の建物なのに、屋根は相当しっかりしたもので、雨漏れの跡は一切見受けられなかったです。蔵造りは、瓦が載って、箱棟がのって、鬼瓦・影盛がのって...と屋根の荷重は相当重いのです(涙)でも、147年という時間の長さがこの小屋組みの有効性を証明しています。これまで、いくつか実測調査に入りましたが、これほどワクワクしたのは、初めてです。明日も頑張りましょう!