architecture
武州入間郡川越南町絵図面
「洋品の丸昭」昭和34〜39年ごろ

店舗の変遷

○渡辺吉右衛門店舗(昭和5年 1930年)
○昭和堂洋品店...後に洋品の丸昭へ店名を変更する。
○洋品の丸昭...この時代には、既に2階壁面に大きな看板で覆われていた。
○かわだ(電気屋)
○岡田洋品店...昭和50年代にファサードの大きな改装を行っている。
○松ヶ角家店舗(1F:鍛冶小町堂)...(平成25年度 2013〜14年復原)
埼玉県営業便覧
「川越十景」 岩崎勝平
昭和25〜36年(1950〜1961)

ファサードの検討

復原にあたり、昔の写真などを探す作業から開始しています。旧所有者へのヒアリングから写真提供をお願いするも、なかなかドンピシャの写真は出てきませんでした。また、出てくる写真のほとんどは、山吉ビルの屋上から一番街を見通した写真が多く、手前の蔵造りの屋根で2階の窓配置が写る写真は一枚も発見できませんでした。唯一アングルの違う物が上の岩崎勝平氏の「川越十景」です。福沢諭吉に「絵描きの神様」と言わしめた岩崎氏のスケッチですので、ありもしない場所に窓を描くとは思えません。他の写真に写っていない手前の蔵造りの屋根の背後に隣と高さの違うアールの窓飾りが見えています。
埼玉県営業便覧
アングルから、山吉ビルの屋上からのスケッチではなく、背後に建っていた木造3階建ての山吉デパートの窓からのスケッチと思われる。

解体から解ってくるファサード

■2階の開口部に関して
○壁の作られ方(一般部)
・柱は1間(1818mm)以内に必ず設けている(909mm・1363.5mm)
・貫21mm×115〜120mmを3尺(909mm)以下で設けている。
・竹小舞の横竹は、貫の上部(室内側)50mmピッチ。
  縦竹は貫外(屋外側)に設置。
・縦胴縁(45×50)は1.5尺(454.5mm)で設けている。貫とは釘止め2か所
 床梁上部では、1.5尺ピッチで18×42ほぞ跡を確認。
 桁下部では、3尺ピッチで15×52ほぞ跡を確認。
 桁下部の縦胴縁のほぞ跡の中間(い通りはイレギュラー)に釘跡あり。
 (釘はほとんど残っている)
→桁下部の土壁の跡から縦胴縁があった部分に汚れが無いことから、
 当初の存在を確認できる。
・土壁塗り厚≒40mm前後
・柱外面・縦胴縁外面に木小舞(42×6)を釘止め
・モルタル系左官仕上げ(塗厚≒30mm木小舞含む) 上記の作られ方から、
  外壁のモルタル系の左官壁は、木小舞→縦胴縁で荷重を受けている。
 土壁も同様に、グリッド状に作られた貫と縦胴縁で荷重を受けている。
 1階の縦胴縁の足元は、無筋RC基礎なので痕跡は無いが、梁下には痕跡あり。
  貫に釘打
埼玉県営業便覧
「い」通り「ろ」あたりの桁下を観る。(土壁の汚れが無い部分に釘あとがある)
埼玉県営業便覧
「り」「三〜五」外壁側から。土壁に絡む形で縦胴縁が1.5尺ピッチで入っている。
○「一」通りの開口部の位置について
・桁下の縦胴縁の位置は、他と違いイレギュラーである。
「は’」〜「へ’」の間は尺ピッチで縦胴縁の跡がある。
逆に「ろ’」〜「は’」、「へ’」〜「と’」間は、それぞれ「ろ’」「と’」から
1 尺の位置に 縦胴縁の跡がある。

※「一」「ほ」の柱の両側に開口部が付いていただけであれば、縦胴縁の位置を
  イレギュラーにする必要はなく、1.5尺ピッチに桁下に縦胴縁の跡が確認でき
  るはずである。
  特に、「一」「は」・「一」「と」付近の縦胴縁をずらす必要はない。

・同時期(昭和5年)に5軒並びの洋風町屋を同じ大工で作られた事
・間口3間のファサードの作られ方は、他の2軒は同じである。
  (開口部が2か所)
・縦胴縁の位置も上記の位置とほぼ合致する。
・土壁+モルタル系の壁より開口部の方が圧倒的に荷重は少ない。

上記から、2階東側立面図は、2か所の離れた開口部があったと推測します。