火災後、最初に集まれたのは、東側2軒分のINBYさんだけであった、当時、YSJNさんは、商売を辞めるという話も出ていた。この段階では、商売を続けて欲しいという事と、新しく出来る景観を菓子屋横丁の新名所になれるような計画をしていきたいという事が確認された。
最初の提案は、火元の土地の方向性が見えない中、私案という形で提案を行った。県道側は、都市計画道路に5〜6m掛かり火元の土地のその部分を川越市に先行取得をしてもらい、防災広場として活用出来ないか?というものであった。
この計画は、結局頓挫したのだが、川越の観光地の最北端に位置し、バスの停留所が既にあり、狭い歩道に多くのバスを待つ観光客が危険な状態におかれていた状況から改善出来る案であった。一番街もそうだが、直線上に並ぶ店舗の間を歩き続ける町の構成から、途中々々に溜まれる空間は必要と考える。そこに緑(木陰)や水やベンチなどが休憩スペースの創出は今後も川越の課題と思われる。
また、修景に関しては、昔の航空写真を観ると、この地域も瓦屋根の長屋が軒を連ねていた事が解る。再分化された敷地を全体で修景する事を提案した。