2003.10.27
軒先と内部 4
今回の建物は、大正浪漫夢通りという通りに面する店舗兼住宅である。
この通りには、「大正浪漫のまちづくり協定・規範」というものがある。
近代建築・土蔵造り・真壁造り・洋風町屋の建物は、保存が原則である。改変されている場合は、創建時のファサードに戻す。
建替え時は、元の建物のイメージの継承。看板・暖簾などの小道具による大正浪漫のイメージを演出する。
その他の建物は、............と10項目ほどある。そして、通りの将来像として各店舗のファサードをこの協定にあうようなファサードにした
絵もつけられている。これによると、今回の物は、立替に当たる。そして将来像の絵によると蔵造りのお店として描かれている。
当初、お店の業種が和菓子+飯物ということで、蔵造り系の現代版として考えていた。しかし、オーナーの意向はぜんぜん異なるものであった。
この通りには、もう一軒お団子を売るお店が存在していた。(先日、やめてしまったが、)そちらの建物は、蔵造りの建物で、同じ感じのものを作っても
意味がない。確かにそうである。よって、洋風にして欲しいとの事。う〜ん。確かに同じ土俵では、古い方が、良い。だからってその反対の洋風か〜。
時同じくして、大正浪漫夢通り専門委員会が開かれ、そこで、この建物がどのようなものがいいのかという事が、商店街の幹事や、大学の先生や
地元の蔵の会の人など混ぜて十数人で議論?が持たれた。そこでの見解は、隣の大正館に合う?物。水平ラインを揃える。などの事項が挙がった。
洋風町屋が初めて、この建物の方針となった時である。
さて、川越の洋風町屋とは?ずばり2階建てで2階部分には、3つの縦長窓。その他色々...。
この3つの縦長窓は、はずせない要素なのである。単純にほとんどの敷地は、間口3軒程度で奥に長い。その場合に両サイドを耐力壁として使うと
3つぐらいしか窓が取れないのである。しかし、実際には、当時(大正時代ごろ?)は、色々な洋風な建物があったんじゃないかと思っている。しかし、
現在に残るそれは、ほとんどが、3つなのである。これは、数的に多かったから残っているという話もあるが、偶然という話もある。劃して、これは、
川越の特徴となったわけである。特徴とは不思議である。
とりあえず、3つの縦長窓が付いているのだが、これは、本当にすごい制約であった。色々なところで.......。
そして、何よりも困ったのは、そのデザインであった。これは、恐らく、恐らくですが、近代建築を大学で学んできた僕らの世代にとって初めて行う
デザインであった。実際これから設計活動を行っていく過程で同じように、歯飾りだとか、ドリス式だイオニア式だのアーキトレーブだとかコーニスだとか
を意識して設計する機会があるか?といえば、恐らくほとんどないであろう。そして、ウィトルウィウスの建築十書を読んで勉強した。しかし、それは行わなかった。
それをする必要があったかは今はわからない。
この通りには、「大正浪漫のまちづくり協定・規範」というものがある。
近代建築・土蔵造り・真壁造り・洋風町屋の建物は、保存が原則である。改変されている場合は、創建時のファサードに戻す。
建替え時は、元の建物のイメージの継承。看板・暖簾などの小道具による大正浪漫のイメージを演出する。
その他の建物は、............と10項目ほどある。そして、通りの将来像として各店舗のファサードをこの協定にあうようなファサードにした
絵もつけられている。これによると、今回の物は、立替に当たる。そして将来像の絵によると蔵造りのお店として描かれている。
当初、お店の業種が和菓子+飯物ということで、蔵造り系の現代版として考えていた。しかし、オーナーの意向はぜんぜん異なるものであった。
この通りには、もう一軒お団子を売るお店が存在していた。(先日、やめてしまったが、)そちらの建物は、蔵造りの建物で、同じ感じのものを作っても
意味がない。確かにそうである。よって、洋風にして欲しいとの事。う〜ん。確かに同じ土俵では、古い方が、良い。だからってその反対の洋風か〜。
時同じくして、大正浪漫夢通り専門委員会が開かれ、そこで、この建物がどのようなものがいいのかという事が、商店街の幹事や、大学の先生や
地元の蔵の会の人など混ぜて十数人で議論?が持たれた。そこでの見解は、隣の大正館に合う?物。水平ラインを揃える。などの事項が挙がった。
洋風町屋が初めて、この建物の方針となった時である。
さて、川越の洋風町屋とは?ずばり2階建てで2階部分には、3つの縦長窓。その他色々...。
この3つの縦長窓は、はずせない要素なのである。単純にほとんどの敷地は、間口3軒程度で奥に長い。その場合に両サイドを耐力壁として使うと
3つぐらいしか窓が取れないのである。しかし、実際には、当時(大正時代ごろ?)は、色々な洋風な建物があったんじゃないかと思っている。しかし、
現在に残るそれは、ほとんどが、3つなのである。これは、数的に多かったから残っているという話もあるが、偶然という話もある。劃して、これは、
川越の特徴となったわけである。特徴とは不思議である。
とりあえず、3つの縦長窓が付いているのだが、これは、本当にすごい制約であった。色々なところで.......。
そして、何よりも困ったのは、そのデザインであった。これは、恐らく、恐らくですが、近代建築を大学で学んできた僕らの世代にとって初めて行う
デザインであった。実際これから設計活動を行っていく過程で同じように、歯飾りだとか、ドリス式だイオニア式だのアーキトレーブだとかコーニスだとか
を意識して設計する機会があるか?といえば、恐らくほとんどないであろう。そして、ウィトルウィウスの建築十書を読んで勉強した。しかし、それは行わなかった。
それをする必要があったかは今はわからない。