architecture

川越大火前の川越

川越大火直後の町並みが蘇る

  重要伝統的建物群保存地区の中央に位置する当建物は、明治30年代の写真に現在の建物の姿で残っています。現在の蔵造りの町並みは、明治26年の川越大火後に、耐火性の高い建物をという当時の川越商人の願いから、江戸(日本橋)の蔵造りを参考に競って建造されました。関東大震災や戦火ならびに高度成長期による取り壊しにより、東京の蔵造りは、解体されました。川越の町並みは、江戸から明治にかけての東京の表通りの伝統的な景観を継承する町並みとして貴重であります。
この大火の時に、当建物も焼失しています。(川越町焼失之図M26より)
大火後に、蔵造りの建物が建てられる中、転用材(他の建物で使われていた材)を使用し建造されたのが当建物です。大火前の川越の一般的な建物として評価され伝統的建造物として指定を受け平成23年に復原が行われました。
屋根は、板葺き。壁は、土壁と下見板貼り。
明治30年代の写真 写真右は「万文」(現在の蔵造り資料館)
明治30年代の写真
  写真右側は、「万文」現在の川越市蔵造り資料館です。当建物との境界の煉瓦の壁も見えています。この煉瓦の塀は、当建物側の目地処理がされていないことから、当建物が出来た後に作られたものと考えられています。
2010年調査時の写真
2010年工事前の写真
 ファサードはパラペットを立ち上げているが、背後に原型の屋根が残っているのが見えます。当建物の復原工事に寄って、このブロックの全ての建物が、本来の顔を取り戻し川越大火直後の町並みに近付きました。
 

●平成24年度かわごえ都市景観表彰「都市景観デザイン賞」受賞


---------------------------- 審査講評 -----------------------------
「板葺きも伝統」
明治の大火前はもちろん、大火の後も杉皮葺きの町屋が数多く建っていました。この店もその一つで、今では難しくなった板葺の復原に果敢にチャレンジしてくれました。蔵造りの重厚さからかけ離れた存在ですが、板葺への挑戦にも意義があります。デザイン密度の高さによって、小さいながらも存在感のある作品となりました。